
誰しも立ち止まり、 迷い、 そして踏み出した人生の瞬間がある。 医師の原点や転換点にフォーカスするインタビュー企画 「Doctor’s Career」。 今回は、 亀田総合病院呼吸器内科主任部長の中島啓先生に話を聞いた。 (全3回の第2回)
>>第1回はコチラ。
大学を休学した結果、 医師としての目指す道を見出し、 再び医学部へ戻り、 研修医として一歩を踏み出した。 そこで2度目のスランプが訪れる。
研修医1年目の外科研修でのこと。 手先が器用ではなく、 手技に苦手意識を持つように。 朝のプレゼンテーションも苦手で、 だんだん自信を失い、 精神的にもきつくなり、 研修を休むこともあった。
「もうダメだ。 自分に医師はできない」
思い詰める日々が続いた。

「この時期は今までの人生で一番つらかった。 もうダメだとあきらめていました」
この窮地を救ってくれたのは、 これまでの経緯をよく知る先輩だった。 「せっかく休学して1年休んで復学したんだから、 あと3ヵ月だけ頑張れ。 3ヵ月頑張って無理だったらやめてもいいから」 と声をかけてくれた。
その先輩の言葉で、 心のバランスを何とか保ち、 3ヵ月を乗り越えることができた。

その3ヵ月が明けて消化器内科での研修が始まると、 状況は一変。
消化器内科は自分にマッチしていた。 入院患者が多く胆嚢炎や消化管出血、 肝膿瘍、 急性膵炎、 消化器癌など幅広く内科疾患が見れて面白く感じた。 指導医とも波長が合い、 和気あいあいとした雰囲気で、 毎日が楽しかった。
当直も多く忙しい日々に追われ、 悩んでいる暇もなく、 気づいたら外科研修でのスランプを脱出していた。
「経験はないですが、 戦地から生還したような心境でした。 神様が助けてくれたような感じです。 新しく授かった自分の命,残りの人生において (聖路加国際病院名誉院長で尊敬する) 日野原重明先生やウィリアム・オスラー先生が実践してきたことを自分がやるんだと覚悟を決めました」
この挫折を乗り越えて、 精神的にも成長した。
「患者さんの痛みや、 研修医の後輩たちの不安が分かるようになりました」

そして、 初期研修を終え、 3年目には専門領域として 「呼吸器内科」 を選択する。 急性期の肺炎から慢性期の肺がん患者の緩和ケアまで、 患者と長く向き合うことができる点に大きな魅力を感じた。 これは、 日野原先生の提唱する 「全人的な医療」 を実践できる道だと考えたからだ。


編集・作図:編集部、 監修:所属専門医師。各領域の第一線の専門医が複数在籍。最新トピックに関する独自記事を配信中。
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